2016年11月14日

東日本セメント製品工業組合 東生会創立30周年記念事業及び後期研修会 報告

今回は東生会 会長 田中友和氏(株式会社弓削コンクリート工業所)よりご寄稿いただきました。

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平成28年10月28日、29日の両日、東日本セメント製品工業組合 東生会創立30周年記念事業および後期研修会を開催しました。
メインの研修内容は長崎県軍艦島世界遺産見学と勉強会。研修参加者は10社12名でした。

28日は長崎県軍艦島“世界文化遺産”見学です。
長崎の世界文化遺産は、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産です。軍艦島は、日本の近代化を支えた石炭産業の歴史を伝えています。コンクリート業界に携わる人にとっては、日本初の鉄筋コンクリート造の集合住宅に興味深々です。
事前に羽田空港にて、新東産業(株)仲田氏より軍艦島に関する説明があり、軍艦島内部のコンクリート構造物の劣化状況、剥離、鉄筋のさび、塩化物イオン量、コアによるコンクリート強度などの充実した資料に参加者一同ビックリしました。

見所は
・塩害劣化(年代別)
  30号棟:日本初の鉄筋コンクリート構造物
  16〜19号棟:日給社宅
  65号棟:9F建て317戸(総床面積16,895m2)、戦時中の構築
・護岸:長崎特有の赤土と石灰を凝固材としてが石を積む(石垣構造)
・この時代の建設に当たっての施工方法(想像??)
との内容で、気持ちは益々高揚、期待に満ちて出発しました。

長崎に到着すると天候は雨模様で、上陸が危ぶまれました。(雨男は誰??)
ともあれ軍艦島へのクルージング船は決行。出航時、港は穏やかな波でしたが・・・・

・・・・海上は荒れていて波が高く船酔いとの戦いになりました。
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記念撮影!
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船酔いと上陸できずの脱力感・・・

船(ブラックダイヤモンド号)は軍艦島へは近づきましたが上陸はできませんでした。残念!!
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右から2棟目が日本初の鉄筋コンクリート造 集合住宅(30号棟)
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左:65号棟、中央:16〜17号棟
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劣化状況と護岸


帰りの船上で、スタッフより 

途中寄港した高島も炭鉱(同三菱社)であるが、軍艦島の当時のトップ(三菱社)の資質が大きく影響して発展を遂げており、高島とは大きく異なったということ。(いつの世も同じ…)
グラバー氏から伝承されたビール製法による日本初のビール生産(キリンビールの発祥)も岩崎弥太郎氏が関与している。また、造船も三菱社により発展。長崎は三菱一色である・・・

といった説明を船上から長崎港を見ながら受けました。
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中央奥に明治時代のドッグ(世界文化遺産に指定)
木造である。写真では?


夜は残念会として懇親会を開催し、長崎港を一望する露天風呂(夜景も素晴らしい)と名物卓袱料理を囲みながら参加者の親睦を深めました。
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宿泊(紅葉亭)からの眺望
造船所のドッグ(イージス艦、LNGタンク船)
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素晴らしい旅館:紅葉亭にて



29日は長崎市内観光。
平和公園見学では被爆直下にあった刑務所の基礎コンクリートが残存し、数千℃に及ぶ熱射に劣化した状況、鉄筋が表面に露出していて戦前のコンクリート内部などを参加者一同、じっくりとを観察しました。
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平和記念公園
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刑務所跡地:コンクリート基礎跡(爆心地)
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爆心地の刑務所の壁(数千℃の温度の影響を受けた)


原爆資料館 出島の見学。
昼食は中華街で、かた焼きソバなどいただきました。
記念事業の行程は弾丸でしたが2日間有意義な時間を過ごしました。

創立30周年記念事業は、新東産業株式会社様の技術的なご支援により深い技術研修・記念事業となりました。今後とも技術的指、ご協力をお願いするとともに、厚く御礼を申し上げます。
最後になりますが、参加して頂いた皆様にも厚く御礼申し上げます。

リベンジ!! 軍艦島・・・


東生会 会長 田中友和 株式会社弓削コンクリート工業所



posted by 新東産業 at 08:47| 報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

インド旅行記 vol.2

インドの世界遺産を巡って

デリーは、古代には「マハーバーラタ」に現れる神話の王都、中世のイスラム諸王朝からムガル帝国までの「七度の都」の時を経て現代インドの首都となった。
10月1日の日経新聞の一面に「アジアの大都市圏で交通渋滞が深刻、対策を急ぐ」との記事。渋滞による経済損失はアジア新興国の国内総生産の2〜5%、さらに大気汚染も「世界最悪」であるという。
滞在中は、天候があまり良くなかったせいか大気汚染はさほど気にはならなかった。しかし、交通渋滞は想像を絶する。マナー、クラクションの騒音、日本の整然とした交通渋滞とは全く異なる。インド独特の文化なのだろう。車は傷だらけ、接触事故は日常茶飯事といったところ・・・(喧嘩のような争いごとはないのが不思議)我々が危惧することなどお構いなしにバスは目的地クトゥブ・ミーナールに到着。

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向かう途中の道路状況(二車線が三車線状体)
小型車が主流(日本のスズキ車が多い)
車両の間隔が半端でない!

クトゥブ・ミーナールは、1993年に世界遺産に登録されたモスクの塔と取り巻く建築物郡である。
インド最初のイスラム王朝がヒンズー教徒に対する勝利を記念して建てたもので、高さ72.5m、5層からなり、直径は基部が14.3m、頂部は2.7mと上部に行くにしたがって細くなっている。下3層は赤砂岩、上2層は大理石と砂岩で造られている。

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コーランの章句を図案化したものが刻まれている。

ミーナールのすぐ脇には、破壊されたヒンズー寺院やジャイナ寺院の石材を使ったインド最古のモスク「クワットゥル・イスラム・マスジット」がある。

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高さ7mの鉄柱(3〜4世紀に造られ、サンスクリット語の文字が刻まれている。
鉄の純度は100%近く、いまだに錆びていない)


後方の石造りの回廊は、破壊された寺院の石材を転用したもので、ヒンズー教の彫刻の跡が残っている。また、異教徒が使用したため上下逆になっている石もあり、ひとつひとつが興味深い。

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破壊された寺院(刻まれた模様が素晴らしい)
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ヒンズー彫刻やブッダ彫刻の石を再利用したモスクの石柱
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未完のアラーイの塔(クトゥブの2倍の高さの塔を建てようとして
着工したが、途中で暗殺され、完成に至らなかった。)


多宗教国家の歴史が刻まれた世界遺産である。


次に向かったところは、アーグラー。
インド最速列車「ガディマン・エクスプレス」に乗って2時間弱、デリーからヤムナー河沿いに約200km下った所にある地方都市。その歴史は古く、紀元前3世紀に都市として登場、16世紀にムガル帝国第3代皇帝が首都をおき、隆盛する帝国の中心として繁栄した。そして、世界で最も美しい建築物タージ・マハルがある場所である。

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タージマハルの正門。
ここを潜ると300m四方の庭園と泉を前景にした
シンメトリックなタージマハルが現れる。
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完全左右対称のタージマハル。


囲む4本のミナレットは、礼拝の呼びかけをするための塔(1本は清掃中)、決してタージマハルに向かって倒壊しない造りになっている。
タージマハルは、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャージ・マハルの妃ムムターズ・マハルの墓である。世界各地から貴石が取り寄せられ、職人を集め、22年の歳月と天文学的な費用をかけて1653年に完成させた。さらに、ヤムナー河の対岸に、黒大理石で自分の墓を建て、両者を橋で結ぶ計画をしたが現世の権力はなく息子に対岸のアーグラー城に幽閉されてしまう。

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綺麗な大理石、刻まれた模様、埋め込まれた貴石の数々、目の当たりにして美しさ・大きさと建築技術の偉大さに胸を打たれた。
これより中へは、裸足か靴にカバーを付けて入る。(素足で大理石の実感を味わいながら見学するのも良い)

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ドームの中央に、皇帝シャー・ジャージ・マハルと妃ムムターズ・マハルの二つ棺が安置されている。装飾は極めを超えている。
  
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柱は凸凹に見えるが、実は錯覚。
下の写真のような模様で実は平面。
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タージマハルから見た入口のモスク
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モスクの回廊
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モスクの回廊(赤砂岩で造られている)

タージマハルは、朝陽の昇る時刻には刻々と変わる白大理石の色あいが素晴らしいとのこと。また、満月の夜の青白い月光に照らし出されたあやしい美しさも現生にはないようなすご味を感じさせるという。是非、見たいものである。
 
アーグラー城は、ムガル帝国の権力の象徴。シャー・ジャージ・マハルは対岸のタージ・マハルをここのムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)に幽閉され眺めながら74歳で息を引き取った。
デリーからアーグラーへ遷都した皇帝アクバルが1565年に着工して1573年に完成し、シャー・ジャージ・マハルまで3代の居城となる。4代目のアウラングゼーブが父を城塞内の「囚われの塔」に霊閉してデリーに移る。
濠を渡り、門を入ると宮殿が並ぶ。

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城の南側のアマル・スイン門
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濠を巡らす城壁(難攻不落の城である)
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ジャハーンギル宮殿
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庭園の中央に大きな皇帝の浴槽が置いてあった。
入浴シーンが想像もつかない。
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細かい文様が刻まれている。
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石は大きく頑丈な治具で固定されている。
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大理石で造られた豪華な宮殿
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幽閉されていた「囚われの塔」、対岸にはタージマハルが望める。
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貴賓見の間(黄色い枠に王座がある)
王座の後方にタージマハルが見える。


インド文化の壮大さが伝わりましたでしょうか・・・
あまりにもスケールが大きくカメラに収まらない。そんな世界遺産でした。
第3弾でバナーラス・聖河ガンガーとガートをお送りします。




posted by 新東産業 at 09:00| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする